心のオアシス

心のオアシス 2019年2月17日

 ガンの専門医であり末期ガン患者でもあった某大学病院がんセンターのイ・ヒデ所長が、ガン患者たちに死に至るプロセスについて話したことがありました。「自分がガンにかかったことがわかると、その人の恐れが骨髄を溶かします。すると、免疫力が急激に下がります。ガンが人を殺すのではなく、絶望と恐れが人を殺すのです。それで私は、ガン患者の方たちに、一筋の希望でも残っているなら、それをつかむようにと伝えます。免疫力を落とさないために、決して絶望してはなりません」ということでした。
 “笑い”がNK細胞を活性化して、体の免疫力をアップするという話しを聞いたことはないでしょうか? これは私たちが笑うと、免疫のコントロール機能をつかさどっている間脳に興奮が伝わり、情報伝達物質の神経ペプチドが活発に生産されるそうです。“笑い”が発端となって作られた”善玉”の神経ペプチドは、血液やリンパ液を通じて体中に流れ出し、NK細胞の表面に付着し、NK細胞を活性化します。その結果、がん細胞やウイルスなどの病気のもとを次々と攻撃するので、免疫力が高まるということだそうです。逆に、不安、恐れ、悲しみなどマイナスの情報を受け取ると、NK細胞の働きは鈍くなって免疫力も落ちてしまうことがわかっていて、ある実験では、”笑い”にはこうした免疫システム全体のバランスを整える効果があることも明らかになっています。つまり大いに笑えば、ガンやウイルスに対する抵抗力が高まり、同時に免疫異常の改善にも繋がるのです。ということは、私のジョークも健康のために役立つなら、つまらなくても大いに笑ってください(笑)。
 恐れにとらわれると、生存率が低くなることを証明した有名な実験があります。太陽の光が全く入らない真っ暗なボックスに閉じ込められたネズミは、3分も耐えられずに死にました。しかし、ボックスに小さな穴を開けて一筋の光が差し込むようにすると、36時間過ぎても生きていたそうです。真っ暗な所に入れられたネズミが死んだ原因は、光不足や体力の消耗でもなく、ネズミ自らが作った絶望と恐れのために死んだというのです。天の希望の光を見ながら、期待して歩みましょう!!

心のオアシス 2019年2月10日

 今年から礼拝メッセージは、旧約聖書・創世記から順番に学んでいる。
 先週は“信仰の父”と呼ばれるようになったアブラハムが登場した。彼は今から4千年前に、当時偶像崇拝者であった父の元に生まれましたが、一つの信仰の決断が一つの新しい民族を生み出し、今や全世界に散らばっています。それがユダヤ人なのです。旧約聖書によると神は、罪に溺れる人々を正しい道に導くために、エデンの園から追放し忍耐をもって見守っておられましたが、ノアの時代に悪がはびこり、大洪水によってノアとその家族以外を滅ぼされました。それからまた時は流れ人が増え、ノアの時代の水のさばきを忘れ去られてしまった時代に、高い塔を建て創造主を忘れ、人間中心の社会になった時、今度は一つだった言語を乱されて、それぞれの民族として地の果てにまで散らされました。そして神さまは救いの祝福を与えるために、次なる計画を実行されたのです。それは全く新しい一人の人を選んで、そこから生まれてくる人々を、新しい民族として立て、その新しい民族を通して全世界の人々を祝福するというものでした。そしてその完成形が、アブラハムの時代から2千年後に、系図上ではその子孫として生まれたキリストだったのです。
 一人の小さな信仰が、世界を変えていきました。アブラハムの信仰とは、全世界の人々が創造主を知らなくても、私は神さまの呼びかけに応じます!という姿勢でした。彼は周りに創造主を信じさせる人や環境がなかったにも関わらず、神の呼びかけに従いました。信仰とは、皆がやってるから、自分もやってみようというレベルのものではないのです。
 そしてもう一つ。信仰とは、自分の可能性ではなく、神さまの可能性に賭けることです。アブラハムが選ばれるために、どのような条件があったでしょうか? 彼は創造主を知らない人でした。しかし神さまは、そんな彼に一方的に選び声をかけられたのです。アブラハムが偉大な存在となったのは、ただその声に従ったからなのです。
 神さまは、私たちを選んで、この地上に生かし、今も声をかけ続けてくださっています。今こそアブラハムと同じように、その声に反応してみませんか?! 

心のオアシス 2019年2月3日

 1900年代に、癒しの賜物が与えられている著名な伝道者が集会を行なった時のこと。一人の青年が、その集会に出たときに、たくさんの病気の人々が癒され、車椅子で来ていた人たちが立ち上がるという癒しが次々に起こりました。彼はその奇跡に圧倒されていました。集会が終わってその青年が外に出ようと人の列の流れにいると、車椅子をおしている女性の姿が見えました。その車椅子には、病気なのでしょうか奇形なのでしょうか、頭が異常に大きく体が異常に小さくて歩くことのできない子供が座っていました。肩を落としながら車椅子をおす母親の姿を見ながら彼はすぐにこう思いました。「神様! この子は、今日癒しが必要だったのに、どうして癒してくださらなかったのですか?」神様に文句を言いました。そんな気持ちのままで長距離バスに乗り込みました。そしてそのバスに乗って帰る途中、青年は、ウトウトして夢を見ました。それは、数時間前に見たシーンでした。集会が終わって、出口のあたりを歩いていると、あの頭の大きな子と、その車椅子を押している母親の姿がありました。そして「どうして、この子を癒してくださらなかったのですか?」と怒っている自分自身の姿もありました。しかし、その親子を見ていると、その後ろにイエスさまが立っておられて、その車椅子の子どもの頭を抱きかかえながら「私は、この子を忘れているのではありません。いつも心にとめています。」と語っておられる姿を見たのです。それが彼にとっての全て疑問の答えだったと話しておられました。
 私たちは、癒しや、問題がなくなることを切に求めながら生きています。実際に、私は祈りを通して癒され、具体的な必要が満たされることも経験済みです。しかし、人は必ず死ななければなりません。これは神さまが定められたことです。この地上では、自分の願いが通りにいかないことも多々ありますが、私は完全な満たしと癒しと解決は、天においてあると聖書に基づいて確信しています。
 「たとい親があなたを忘れるようなことがあっても、私はあなたを忘れることはない」(イザヤ49:15)この世においては、主の自分に対する愛と計画を信じて進みたいものです。

心のオアシス 2019年1月27日

 今日はシリーズの最終回「恵みの流れる人生にするには」です。
 今、私たちにあるすべてのものは、神さまの恵みであり、今、手にしているものも、実は神さまがすべて与えてくださったものです。いのち、健康、家族、配偶者、子ども、住居、日々の糧などのすべてのものも、実は自分の努力によって得たものではありません。旧約聖書の申命記8章17~18節「あなたは心のうちで『この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ』と言わないように気をつけなさい。あなたの神、主を心に据えなさい」という御言葉を覚えましょう。
 恵みが溢れる家庭は、感謝が絶えない家庭です。神さまに感謝し、夫、妻に感謝し、子どもに感謝し、すべてのことに感謝しましょう。そうすれば、神さまの恵みがさらに家庭に満ちるようになるでしょう。
 自分の力でなんとかしようと一生懸命がんばって生きてきた人は、ケチになるしかありません。神さまの助けに拠り頼まないので、心配が多く、いつでも出費を惜しみ、貯めておこうとします。それで、他の人に寛大に施すことができません。ケチな心を「貧しい霊」とも言います。ところで、霊的な法則では、ケチになるほどさらに貧しくなります。反対に、これまでも自分の努力によってではなく、神さまが救ってくださった恵みによって生きてきた信じる人は、恵みを周りの人に流すことができます。これまで恵みによって生きてきたのだから、これからも恵みによって生きていくと信じるからです。また、これまで与えられた恵みは、すべて神さまのものなので、神さまに再びお返しすることができます。周りにいる恵みが必要な人々に恵みを施すことができるのです。「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。『この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる』と書いてあるとおりです」(Ⅱコリント9章8~9節)。恵みは、あふれて、流れていかなければなりません。(イ・キボク著抜粋)

 無謀になってはいけませんが、祝福の種も蒔けば必ず刈り取ります。

心のオアシス 2019年1月20日

 今日は第三回目「完璧主義による傷の対処法」です。
 恵みを頭で“知っている”ことと、恵みの人生を“生きる”こととは違います。私たちは、恵みによって生きなければなりません。恵みの法則を子どもの養育にも適用するなら、恵みの祝福があなたの家庭と子どもに豊かに臨むことでしょう。成績が落ちたときや失敗したとき、財布をなくしたとき、子どもが親の気に入らない行動をしたとき、子どもが罪悪感にさいなまれているとき、神さまは、ありのままの姿で愛しておられ、あなたを見ているだけで喜ばれていることを伝えてあげましょう。
 ある夫のストーリーです。その人は、子どもの頃から父親にほめられたことがありませんでした。自分なりに勉強もがんばり、努力もしましたが、父親はいつも批判と指摘と叱責を繰り返しました。また、お金も惜しみ、条件なしにくれる小遣いやプレゼントもありませんでした。そのようにして成長した夫は、自分の父親をとても嫌っていました。ところがおかしなことに、結婚後、自分もその父親と同じように子どもや妻に対して行動していることに気がつきました。いつも感謝も満足もありません。このような場合、どうしたらいいでしょうか? まず、夫の心のうちを理解してあげましょう。夫は、からだは成長していても、今でも褒められ、認められることに飢え渇いている子どもと同じ状態です。自分自身のことを、受け入れられないので、自分を責めているのです。自分がありのままの姿で受け入れられ、愛されている存在だということを信じることができず、その心の状態を妻と子どもに映し出しているのです。そのような夫は、神さまの恵みを理解することができません。まず、夫が神さまの恵みを深く知ることができるように祈りましょう。そして、夫の行動に対して過剰反応したり批判したり指摘するのもやめましょう。神さまがありのままの姿を受け入れ愛しておられることを伝えましょう。ただ神さまの恵みだけが、完璧主義の考え方を変えることができ、傷を癒すことができるのです。(イ・キボク師文章抜粋)

 私のライフメッセージも、「それでも神はあなたを愛している」です。