毎月第3週目の日曜日の午後の礼拝はお休みになります。
次回は5月20日(日)の奈良・学園前礼拝(午後2時)は、
教会セミナーのためお休みになりますのでご注意ください。
尚、東大阪・枚岡礼拝は、通常通り毎週日曜日午前10時半より行なっています。
心のオアシス 2012年5月20日
先日、ある幼稚園の前を通ったときのこと、自分の子供を幼稚園に送った後、建物の周囲にあるフェンス越しの植え込みの間から、園庭で遊ぶ我が子の様子を食い入るように目で追っているお母さんの姿を見た。どこでも見かけるようなシーンですが、親の子供に対する気持ちは特別なものであり不思議なものだと思いました。なぜなら、子は生まれたときから親にとって何か益になることをしたわけでもないにも関わらず、その存在そのものが親によって受け入れられ、愛されています。子は親に迷惑ばかりかけていますが、親は子を保護し守ろうとします。大したことができるわけではないのに子の発表会に親は喜んで参加します。たとえ芸術性ゼロの絵であっても、子が描いたものは大切に保管します。何ゆえに親はそのような行動を子に対してするのでしょうか? 恐らく、神が人に対する気持ちを、親と子の中に表しておられるのではないかと思うのです。勿論、人間は肉の弱さがあり、自己中心性という罪をもっている故に、100%表すことはできないにしても、無条件で子を愛する性質を少なからず親は子に対してもっていると言えるでしょう。
何十年も前の話ですが、ある銀行に猟銃をもって押し入り、人質をとって立てこもった犯人がいました。死傷者が出た悲惨な事件でした。その犯人の母親までもが説得にあたりましたが、犯人は拒絶しました。そのときの母親の様子をニュース記者はこのようにレポートしていました。
「すべての人たちを敵にまわし、憎まれている犯人に対して、自分だけは息子の側にいてやりたいという母親の気持ちが、その後姿からにじみ出ていました。」
世界中の人から憎まれていても、自分だけは助けてあげたい・・・これは神の私たちに対する気持ちそのものだと思います。自分勝手に生き、どうすることもできない罪の中に生きる私たちに対して、それでも一方的に受け入れ、愛し、助けたいと願われたゆえに、御子イエス・キリストを送ってくださって、私たちの罪の身代わりになってくださいました。
信じるだけで救われるなんて、神しか考え出せない救いの方法です。
心のオアシス 2012年5月13日
19世紀末、プロイセン王フリードリヒ2世は、聖書の真理性についてチャプレンと討論しました。当時の王は、理神論者の悪影響を受け、聖書を疑っていました。「あなたの聖書が本当に神から来たものか、その証拠を説明してみよ。」王の質問に、チャプレンはこのように答えました。「一言で申し上げることができます。イスラエルです。」チャプレンの答えに、王は沈黙しました。チャプレンは、数え切れないほどの苦しみと迫害を受けたイスラエルが今も存在するという事実を挙げました。
聖書に記録として残されているイスラエルに対する迫害は、民族が形成された頃に、エジプトから激しい迫害を受けることに始まりました。それから士師の時代には、北イスラエル王国は、シリヤ軍隊の侵略と圧迫を受け続けて、後にアッシリヤによって滅ぼされました。南ユダ王国は、バビロンによって滅ぼされ、その後もユダヤ人は、ギリシアとローマ、中世期にはヨーロッパ、20世紀にはナチスの激しい迫害を受けました。しかし敵はイスラエルに勝利することができませんでした。歴史の中で自国を失い、全世界に散らされたユダヤ人はどうなったでしょうか? 1948年、イギリスによる委任統治期間が終了後、テルアビブで初代首相ベングリオンによる独立宣言が行なわれたのです。しかし、その周辺のアラブ諸国がこれを認めず、武力攻撃を開始しました。周囲をアラブに囲まれ、昨日建国したばかりのイスラエルの小さな軍隊では勝ち目がないと思われていましたが、なんとこの戦争にイスラエルは勝利するのです。これ以来、イスラエル軍とアラブ軍との間には戦争が何度も行なわれているのです。4千年にも渡る歴史を調べてみても、イスラエルの生存を説明できる言葉はありません。ただ一つ言えることは、「あなたを守り祝福する」という神のイスラエルに対する契約のゆえであります。そして「あなた(イスラエル)を祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」(創12章3節)の言葉通り、今までイスラエルを援助してきた国々は祝福されています。
神の計画を応援する者は祝福されます!私たちも選びの民なのです!
心のオアシス 2012年5月6日
先週の日曜日、午後2時から行なっている奈良・学園前の礼拝に、関東から二人の若者が訪問してくれた。一人はクリスチャンで今から15年前、本人が中学生のときにお父様を病気で天にお送りしたのですが、私がその葬儀の司式をしました。そのようなこともありましたので、私がいつも心痛めてお祈りしていた若者の一人でした。今回は、昔お世話になったからという理由で、礼拝に出ることだけを目的に来られました。それを聞きつけた友人も、「一緒に行きたい」ということでついてこられた。彼は未信者でしたが、礼拝が終わってから、「礼拝もメッセージも雰囲気も環境も最高でした。毎週でも参加したい気持ちです。今回は本当に来て良かったと思っています」と言ってくれた。二人とも喜んでくれて、大変嬉しく疲れも吹っ飛びました。
思えば今から2年前のこの時期は、関西に戻ってきたばかりで、どのように伝道をしていこうかと考え祈っていた時期でした。「私でなければ福音が届かない人たちは必ずいるはず」という、神さまからいただいた確信によって帰ってはきましたが、人間的には心配がたくさんありました。しかし、この2年間を振り返ってみれば、不思議なことばかり。まさに紅海が分かれ、その中を歩んでいるような日々でした。そしてこれからも荒野で養われる経験をしていくのだろうな~という期待感と楽しみでいっぱいです。
どうして私が関東にいるときには出会えなかった関東人が、わざわざ関西に来て福音に触れ、感動する人たちが起こされるのでしょうか? これは神さまのミステリーだと思います。神さまの計画は人の知恵では到底理解できません。何故か大阪堺市にもリバイバルの兆候が・・・
マザー・テレサは、たった3ペニーで孤児院を建てようとしました。院長のシスターは言いました。「3ペニーでは孤児院を建てることはできません。」するとテレサは微笑みながらこう答えたそうです。「よくわかっています。しかし、神さまが私と共におられるなら、この3ペニーで私はどんなことでもできるということを知っています。」アーメン!
心のオアシス 2012年4月29日
昔々、あるところに動物たちが新しい世の中の問題を解決するために、何か意味あることをしようと決めました。そこで、学校を作りました。
カリキュラムの中に、かけっこ、木登り、水泳、そして飛行を入れました。学校を運営しやすくする為に動物たちは全ての科目を取りました。
アヒルは水泳が得意で、先生よりも上手なほどでした。しかし彼は飛行クラスはやっとのことで合格し、かけっこも苦手でした。走るのが遅いので、放課後残ってかけっこの練習をしなければなりませんでした。彼の足の水かきはひどく弱ってしまい、水泳でも平均点しか取れませんでした。
ウサギはかけっこではクラスで一番でしたが、水泳の補習で足の筋肉を使いすぎたため、いつも足がうずくようになってしまいました。
リスは木登りが大の得意でしたが、飛行クラスにはいつも悩まされていました。特に先生が木の上から下に降りるのではなく、地面から木の上まで飛び上がりなさいって言うものですから結局無理をしすぎて足をつってしまい、木登りで「C」、かけっこで「D」を取ってしまいました。
ワシは問題児で、誰の言うことも聞かないため、いつもひどいお仕置きを受けていました。木登りでは他のみんなを差し置いて一番になりましたが、自分のやり方でやるのだと言い張りました。
このお話の教訓は何でしょう? 私たちには、それぞれ違った賜物、能力、そして情熱が与えられていて、その中で実力を発揮できるようになっている、ということです。誰でも何かで満点を取れるようになっているのです。自分を他の人と比べることで、神様が本来私たちに与えてくださったすばらしい性質を見失ってしまいます。大切なのは、神に造られた者として、それぞれが自分の持てる賜物を磨き上げながら、他の人の賜物も尊重できるようになるこです。
(「チームでする教会づくり」ウェイン・コデイロ師著書より抜粋)
どのような人でも、あなたしか持っていない賜物が必ずあります!