関西カルバリーフェローシップへようこそ!

7月の予定

☆毎週日曜日の午前10時半と午後2時からの礼拝は必ず行なっています。
 小学生低学年対象のキッズクラス(日曜学校)は、日曜日午前9時50分より。(30分)
 小学生高学年~中学生対象のヤングチャペルは、日曜日午前10時30分より。(1時間)(New)

 以下はそれ以外の関西カルバリーフェローシップ関係の集会予定です。

☆毎週日曜日・午後4時半から大阪府堺市でも礼拝を行なっています!(New)
 住所:大阪府堺市中区平井709-1 
    大阪府堺市中区平井702(ナビ検索用)<無料駐車場35台分完備> 
 ※詳しくは、「集会案内」をご覧ください。  

 4日(水)英語であそぼう(奈良県生駒)/午後4時~ 
10日(火)奈良・京終聖書セミナー(サムエル記下)/午前10時半~
11日(水)英語であそぼう(奈良県生駒/午後4時~
16日(祝月)花まるキッズクラブ(東石切会館別館)/午前10時半~
22日(日)堺チャペル1周年記念礼拝&バーベキュー(堺市中区)/午後4時半~
24日(火)奈良・京終セミナー(サムエル記下)/午前10時半~
 

※各集会は1時間前後で、無料(自由献金有り)です。
※セミナーや集会は、どなたでもご参加いただけます。詳しい場所などは、お問い合わせください。
 (花まるキッズクラブは小学生対象)
※急な変更を余儀なくされる場合がありますので、集会参加希望の方は前もってお問い合わせください。

心のオアシス 2018年7月21日

 「八風吹けども動ぜず」という言葉をご存知でしょうか? この言葉の意味は、「自分を惑わす出来事に動じず、強く心の根を張ろう」です。
 自分を惑わす「八風」とは、どのような風なのでしょうか?
 一つ目は、「利」(り)=自分の意にかなう利益のこと。
 二つ目は、「誉」(よ)=陰で名誉を受けること。
 三つ目は、「称」(しょう)=目の前で称賛されること。
 四つ目は、「楽」(らく)=様々な心身を喜ばすこと。
 五つ目は、「衰」(すい)=意に反する損失のこと。
 六つ目は、「毀」(き)=陰で不名誉を受けること。
 七つ目は、「譏」(き)=目の前で中傷されること。
 八つ目は、「苦」(く)=様々な心身を悩ますこと。
 誰でも褒められたら嬉しいですし、けなされたら傷つきます。苦しいことだけに限らず、楽しい事、嬉しいことでも、慢心を生み、有頂天になってしまい、結果として私たちの心を動揺させるものです。このような八つの風に毎日揺すぶられながら高慢になったり、劣等感に陥ったりしながら、周りの環境に影響されながら人は生きています。新約聖書の中でパウロは、「ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている」と言いました。人生の八つの風に対処する方法は、自分は神の目的の為に創造された存在だということをハッキリと認識するというだと思います。そこに立ち続けるならば、何が起こっても動揺は軽減されます。
 今月で、レストランIMUも、堺チャペルも1周年を迎えました。運命共同体のレストラン教会です。この一年間、牧師にも店長にも“八つの風”が吹きました。しかし、平安があるのです。何故なのかを考えてみました。するとわかりました。結局、「主は与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」「生きるも死ぬも主のため」と腹をくくると、何も恐れることはなくなるのです。私たちは、神さまに与えられた“自分”を用いてベスト尽くし、結果は神さまにお任せするのみなのです。

【メッセージ】2018年7月15日 「本当に幸いな人とは」

  ●聖書箇所や賛美の歌詞など詳細を表示する

マタイによる福音書5章1~12節

キッズクラス「幸せな人」

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
マタイ5:3

心のオアシス 2018年7月15日

 強制収容所での生活を送った私たちには、忘れられない仲間がいる。誰もが飢えと重労働に苦しむ中で、みんなに優しい言葉をかけて歩き、ただでさえ少ないパンの一切れを身体の弱った仲間に分け与えていた人達だ。そうした人達は、ほんの少数だったにせよ、人間として最後まで持ちうる自由が何であるかを、十分私たちに示してくれたのだ。あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。
(ビクター・E・フランクル著『夜と霧 ―ドイツ強制収容所の体験記録―』より)
 
 通常、私たちが考える“自由”とは、自分の願い通り、欲求に従って言動できることがそれだと思っている。しかし、深く突き詰めていくと、このような“自由”がまかり通る世界になってしまったら、大変なことになるということに気がついた。なぜなら、人それぞれの願いや欲求は違うからです。人を傷つけたり、殺したいと願っている人の思いが実現できる“自由”があるなら、私たちは外を出歩けなくなるでしょう。アダムとエバが、自己実現に生き始めた時から、この世に殺人、一夫多妻、争い、復讐の文化が入ってきたことが創世記に記されています。私たちに与えられている“自由”の使い方によっては、物事が円滑に進んだり、上手くいったり、問題が生じたり、混沌とした世界になっていくということでしょう。
 以前にある方から「クリスチャンになると酒もタバコもできなくなって自由が制限されるから嫌だ・・・」と言われたことがあります。大酒以外の酒やタバコを禁止するような教えは聖書の中にはありませんが、私は思いました。「酒やタバコがないと生きていけないなんて可哀想だな~」なくても楽しく生きることができる“自由”に感謝しました。
 イエスさまは、自分に与えられている“自由”を、神実現のために用いました。肉の欲求はありました。しかし、神の欲求に答えられたのです。そこに人類に対する救いと希望が与えられ、主ご自身も神の右の座につかれるという栄光をお受けになられたのです。ハレルヤ。

キッズクラス「地の塩・世の光」

「あなたがたは世の光です。」
マタイ5:14